ラリー参戦記③~ラリー本番・前編

皆様、お久しぶりです。先日はラリージャパンの中止という悲しいニュースがありましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

我々はオンライン報告会を終え、既に来年に向けて後輩たちが始動しております。

個人的な理由で、更新が大幅に遅れてしまいまして誠に申し訳ございません。書き出した以上最後まで書ききる所存でございます。何卒よろしくお願い申し上げます。

1/31~2/1

ラリー初日は現地時間20:00、我々はモンテカルロからスタートします。モンテカルロラリー・ヒストリックには伝統的にコンセントレーションレグと呼ばれるレグが最初に設定されています。ヨーロッパ各地からスタートした車がヴァランスに集結するレグとなっており、モナコの他にはランス、グラスゴー、アテネ、バルセロナ、 バート・ホムブルク がそれぞれスタート地点として設定されています。この区間にはSS区間(競技区間)は設定されていませんが、夕方~次の日の夕方まで走り続けなければならない非常に過酷なレグです。

午前中にニースのホンダディーラーに荷物を預けたのち、昼頃にニースの宿を出発しモナコのパルクフェルメ(F1モナコGPのピットの場所)に向かいます。ニースの宿に荷物を預けることができなかったため、急遽ディーラーにお願いしたのですが本当に快く受け入れてくださいました。Hondaパワーをこんなところでも感じました。

パルクフェルメ到着後、まずはモナコで各車車検を受けます。ここでチェリーのタイヤがレギュレーション不適格であることが判明したため、急遽タイヤ交換を行います。車検を受けた後はラリープレートやゼッケンを張り付けるとしばらくフリータイム。パルクフェルメ周辺を黄色いジャンパーの日本人がうろうろしていました。

モナコのハーバー。
2006年のモナコGPではリタイアしたライコネンが早々にクルーザーに乗り込んでいました。
無事に車検を終えたチェリー

夕方、ドライバーたちは主催者が用意した軽食パーティに参加します。一方我々サービス隊は夕食を探します。どこの店も値段が高く、さすがモナコといった感じです。たまたま目に入った比較的安いハンバーガーショップに入ります。セットで10ユーロくらいだったでしょうか。何を間違えたのか、全く同じハンバーガーを二個注文してしまったメンバーもいましたが、大学生ならではの食欲ですっぺり平らげていました。

夕食を探す途中に見つけたF40。値札はついてませんでした(笑)

夕食を終えるといよいよラリースタート。一台ずつゲートへと向かっていきます。美しいモナコの夜景を背景に、名車が一列にずらりと並ぶ姿は圧巻のものでした。4台すべての出走を見送ると我々もサービスポイントに向かって移動開始、長い一日が幕を開けます。

スタートを待つシビック

サービスポイントに向かう途中のSAに寄って作戦会議、アイテナリー(行程表)を眺めながら、到着時刻、サービス中の役割分担を再度確認します。

サービス場所の周辺に到着し仮眠を取っていると、急遽本部から電話がかかってきて一同たたき起こされます。サービス場所をより手前に変更したいとの旨を受け、真っ暗な中、再び移動開始します。サポートとして同行していた先輩の助けを借りてサービス場所を確保し、日の出前の暗闇の中、サービス準備を開始します。

朝焼けの中、ラリー車の到着を待つ
幹線道路沿いなので横を結構な速さで車が通過していく

初めてのサービスということで漠然とした不安を抱えていたのですが、時間に余裕があり、また、SS前ということでトラブルも少なく順調にルーティンをこなしていきます。チェリーのラリコンにトラブルがあった以外はおおむね順調でした。

その後ラリー車はクルテゾンのCHに向かいます。ここでバルセロナスタートの車たちと合流し、かなり台数が増えました。我々も時間に余裕があったためCHに寄りました。地元の体育館のような建物に休憩所が用意されており、ドライバーは無料でパンとコーヒーを受け取ることができるようでした。

我々の班はその日のサービスを切り上げて買い出し班として宿へと向かいます。現地はどちらかというと田舎だったため、郊外型の大規模なスーパーが数多く、買い物には全く困りません。約40人の大所帯のため、大量の炭水化物(パスタと冷凍ピザ)と水・パン・ミニトマトといくつかの食材を購入し、宿へと向かいます。

Honda NSRを模した遊具。スーパーにありました。

他のメンバーより一足早くヴァランスの宿に到着し夕食の準備を始めます。コテージがいくつか並んでいるようなタイプの宿で、目印が少なく、建物を移動するたびに何度も迷子になりました。

続々と他のメンバーが宿に到着する中、事件発生。 とあるメンバーがオートロックにも拘らず部屋にカギを忘れて出てしまい、一部屋使えなくなってしまいます。インロックを解除してもらうためフロントに行ったのですが、すでに受付時間終了となってしまっており試合終了。 もともと私が確保していた部屋のキャパが小さいこともあり、メンバーには窮屈な思いをさせてしまいました。マージンは大事だということを痛感します。

全員の帰還・夕食後はミーティング。車両の状況を共有し、次の日の予定を確認し、眠りにつきます。すべての仕事を終えて眠りにつけたのは深夜2時~3時ごろ。とても長い一日でした。「やっとまともに眠りにつける」この時は皆そう思っていたのですが。。。

2/2

朝4時?5時ごろ、メンバーが窓を叩く音で飛び起きます。昨日のミーティングで想定していた時刻よりも出発時刻が一時間早いことが判明したとのこと。どうやら公式HPのフランス語版のみ新しい情報が記載されていたようです。起きるや否や、ドライバーを恐る恐る起こしに行きます。学生は慌てふためいていましたが、ドライバーはそれほど驚いたり、焦っていない様子。経験値の差を痛感します。どうやらラリーではこのようなことは日常茶飯事のようです。

大急ぎで支度を終えて出発し、第2サービスポイントへと向かいます。ところがその途中携帯が鳴ります。「第一サービスに向かう予定の班にトラブル(車酔い)が発生したので代わりに向かえないか」とのこと。大急ぎでルート探索し、間に合うことを確認、第1サービスポイントへと急行します。ギリギリのタイミングで競技車の到着に間に合うことができましたが、立て続けに競技車がやってくることもあり、非常に慌ただしいサービスでした。リアハッチを全開にしたチェリーがサービスに気付かず通り過ぎて行ったときは唖然とした記憶があります(戻ってきてもらって事なきを得ました)。

サービスの際のメモ

嵐のように過ぎていったサービスを終えると、この日も買い出し担当だった我々の班は一気に暇になってしまいました。まだスーパーも空いていないような時間だったので、そのまま通り過ぎていくラリー車を眺めながらサービスポイントで休憩します。ドライバーたちはサービス精神旺盛で、こちらが手を振ると、手を振り返したり、クラクションを鳴らしてくれたりしました。

その後は(現地のマクドに寄ったり)スーパーでの大量の買い出しをしたり、宿に戻って食事の準備などをしていました。この日はあまり写真がないので何もしていなかったのかもしれません。

その後チームメンバーが戻ってきて夕食をとっている途中、現地のタイヤショップへ行っていたメンバーから電話がかかってきます。「フランス語が通じないから、ロマンさん(フランス人のサポートドライバー)を連れてきてほしい」とのことで、ロマンさんとフォードに乗り込みタイヤショップへ急行しました。ロマンさんは熱烈なホンダファンで、『youは何しに日本へ?』という番組でもその熱烈ぶりを取りあげられたほどです。非常に運転が上手く、あっという間に店に着くことができました。

フランスの田舎では英語が通じないことがざらにあるそうです。リーダー宮崎は、「最初にボンジュールって言えばあとは英語でも通じる」と言っていたので気持ちの問題かもしれませんが。。。

そんなこんなで無事にタイヤを入手し、いつも通り夜遅くまでのミーティングを終えて眠りにつきました。

後編に続く

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です